六方沢

⇒六方沢への交通
JR・東武鉄道日光駅から霧降高原行きバスで約25分終点下車
日光宇都宮道路今市ICから約40分

霧降高原有料道路の通行料:一般車930円/軽自動車100円
見学自由

今市市 日光霧降高原有料道路のほぼ中央 
 大鳥等旧幕府軍が、慶応4年4月29日、板垣等新政府軍の攻撃を受けて日光を撤退した後、ここ六方沢の谷底で仮泊。その翌日会津に向った。

 <六方沢>
 その際、ここには八汐花(やしおつつじ)が咲き乱れ、その景観の美しさに大鳥圭介は下のように謳った。
〜六方沢〜
 深山日暮宿無家(深山日暮れて宿るに家無し)
 枕石三軍臥白砂(石に枕し三軍白砂に臥す)
 暁鳥一声天正霽(暁鳥一声天正にはる)
 千渓雪白野州花(千渓雪は白し野州花)
六方沢周辺の「やしおつつじ」。赤やしおが先に咲き、其の後白やしおが咲く。

 

 日光を出て山路にかかりしところ、雨後にて泥深く始めの間は提灯ありたれども終には蝋燭尽き咫尺を弁ぜず、加之多衆の人員なれば前後紛擾陸続として歩を進むること能わず、一歩踏墜せば下は千仞の深谷なれば半丁にては行止り一丁行きては休み、大軍の山道を挙る苦辛喩うるにものなし、別に嚮導と曰うものもなければ只大凡方角を定めて休息せんと、疲れたる脚を引て進み程能き木陰に倚りて腰を掛け、其傍に落ちたる枯木を拾い集め火を点じ露に湿えるを乾かせしに、最早夜半過ぎにもなりければ何れも疲労し覚えず焚火の囲に団欒して、石を枕とし木の枝を折て褥となし露臥し一睡を為せしに、風の来て樹を吹動す毎に露落ちて顔或は背を霑し屢々夢を覚したり、平日は少し仮寝して衾薄ければ忽ち感冒せしが不思議に風邪に罹らず奇妙なるものなり、暁方眊覚めて四方を見るに千山万岳一碧中に一種の花あり、即都下にては躑躅と名づくるものと同物にて、其樹幹一尺五寸又は二尺余もありて高さ一尺五寸或は二三丈に至るもあり、枝繁茂して四方に垂れ桃色の花を着くるあり又白色の花を帯ぶるあり、就中其雪白なるもの白躑躅の花の大なるものに似て其嬋妍【せんけん】(容姿の艶やかで美しい様)淡白なる姿万花中比倫すべきものなし、之を名けて野州花と呼ぶ、是れ野州のみに生ずるを以てなり、実に四山の景況小桃源とも謂うべきなり因て一詩を賦す。(『南柯紀行』大鳥圭介より)

 

 

砲弾撃込杉

 

⇒日光杉並木への交通
日光宇都宮道路今市ICより日光街道経由、R119を今市方面へ2分。
更にそこから徒歩。

栃木県今市市瀬川
 この地では、板垣率いる土佐藩と大鳥等旧幕府軍との戦いが行われ、現在もその杉並木の中の杉には砲弾の跡が残る。
 中々昼間でも薄暗い場所で、ある時夜7時に行ったら真っ暗で何も見えませんでしたΣ(|||▽||| )そして怖かった〜(笑)
(上の写真でも午前中の撮影ですが薄暗い…)
 <砲弾打込杉>
 
R119を今市駅方面に走り右側に「報徳庵」という蕎麦屋の看板が見えたら一本右に右折し報徳庵前の道を進むとそのまま杉並木に入る。
舗装道路が切れた後、更に進むと右側に白い案内板があり。

 

如来寺

⇒如来寺への交通
東武日光線
上今市駅より徒歩10分

境内自由

栃木県今市市今市710
 徳川家光が日光東照宮への参拝の際、宿舎として御殿を建設したのが如来寺の始まり。
 境内に幼稚園がある程に規模の大きい寺院。

 <戊辰役戦死者供養塔>
 上記写真の山門を入る直前の直ぐ左脇にある植え込み内にある戦死者供養塔。

 

回向庵

⇒回向庵への交通
東武日光線上今市駅より徒歩5分。

見学自由

栃木県今市市朝日町(
地図
 如来寺の管理下にあり、如来寺から表通りに出て「春日町」交差点を右折し、線路をくぐった先、福田屋旅館が左に見えたら右折した処。
 墓域に上の案内板があり、そこから墓域に入って左に向かい大きな松の根元に

 <佐賀藩・土佐藩士戦死者墓>
 4月の瀬川十文字〜6月の藤原方面での戦闘で戦死した土佐藩士十名、佐賀藩士14名は如来寺墓地に葬られ、のちこの回向庵に墓碑が建立された。
 
 <佐賀藩兵戦死墓>
 
4月〜6月の栃木県での戦闘で戦死した佐賀藩士14名の合祀墓。
 上記の墓域手前に建立しています。