日光を出て山路にかかりしところ、雨後にて泥深く始めの間は提灯ありたれども終には蝋燭尽き咫尺を弁ぜず、加之多衆の人員なれば前後紛擾陸続として歩を進むること能わず、一歩踏墜せば下は千仞の深谷なれば半丁にては行止り一丁行きては休み、大軍の山道を挙る苦辛喩うるにものなし、別に嚮導と曰うものもなければ只大凡方角を定めて休息せんと、疲れたる脚を引て進み程能き木陰に倚りて腰を掛け、其傍に落ちたる枯木を拾い集め火を点じ露に湿えるを乾かせしに、最早夜半過ぎにもなりければ何れも疲労し覚えず焚火の囲に団欒して、石を枕とし木の枝を折て褥となし露臥し一睡を為せしに、風の来て樹を吹動す毎に露落ちて顔或は背を霑し屢々夢を覚したり、平日は少し仮寝して衾薄ければ忽ち感冒せしが不思議に風邪に罹らず奇妙なるものなり、暁方眊覚めて四方を見るに千山万岳一碧中に一種の花あり、即都下にては躑躅と名づくるものと同物にて、其樹幹一尺五寸又は二尺余もありて高さ一尺五寸或は二三丈に至るもあり、枝繁茂して四方に垂れ桃色の花を着くるあり又白色の花を帯ぶるあり、就中其雪白なるもの白躑躅の花の大なるものに似て其嬋妍【せんけん】(容姿の艶やかで美しい様)淡白なる姿万花中比倫すべきものなし、之を名けて野州花と呼ぶ、是れ野州のみに生ずるを以てなり、実に四山の景況小桃源とも謂うべきなり因て一詩を賦す。(『南柯紀行』大鳥圭介より) |