観音寺

⇒観音寺への交通
東武日光駅下車徒歩5分(日光市役所裏)

拝観無料/見学自由(清明館のみ月曜休館)

栃木県日光市上鉢石町1003
 東武日光駅より東照宮へ登る道の途中に日光市役所があり、その裏手に当たる。
 境内入って奥の、丁度市役所に面したがけっぷちに柿沢の墓が建てられており、日光市教育委員会の立てた白い案内柱が立っている。
 容保公が宮司を勤めた日光東照宮のすぐ近くに眠っている。

 
 <柿沢勇記之墓>
 名は、重任、会津藩士柿沢勇八の子。藩が京都守護職の任にあった時、公用方として活躍。
鳥羽伏見の戦いに敗れ東帰した後、大鳥圭介の軍に加わり参謀となるが、4月23日の今市の戦いで銃弾を両足に受け、のち死す、享年35歳であった。

 

柿沢勇記の墓の墓碑銘

 

 二十八日昨日垣沢(※柿沢の誤り)没せり、三浦木村に頼み鉢石町の上なる寺院に埋葬せり(『南柯紀行』大鳥圭介より)

 

 

浄光寺

 

⇒浄光寺への交通
JR・東武日光駅から
清滝、奥細尾、中禅寺温泉または
湯元温泉行バス
にて「田母沢」下車。
境内自由/拝観無料

栃木県日光市匠町7-17
 日光駅より歩くと東照宮を前を左に折れ、直進、更に匠町で中に入る。旧田母沢御用邸直ぐ脇にあたります。
 ここには、幕臣・小花和重太郎の墓があります。
 
 <幕臣・小花和重太郎墓>
 幕府歩兵第七連隊に所属。指図役頭取。
 安塚の戦で重傷を負い、今市への途中で死去。享年29歳。
 日光市教育委員会の建てた案内柱には「会津藩士」となっていますが、会津藩士ではなく、幕臣です。

 

 

日光奉行所跡

 

 <日光奉行所跡>
 東照宮・二荒山神社などの入口前の道を左に折れた所にある「日光奉行所跡」碑。現在は大手企業古河電工の私有地。

 

日光東照宮

⇒観音寺への交通
JR日光駅・東武日光駅より東武バス中禅寺温泉または
湯元温泉行きで5分「神橋」下車徒歩10分。

拝観料:拝観1300円(奥社まで)、輪王寺と二荒山神社との二社一寺共通拝観券1000円(眠猫〜奥社は別途520円)
拝観時間;8時〜16時30分(11〜3月は〜15時30分)

栃木県日光市山内2301
 写真は有名な「陽明門」です。
 日光東照宮といえば、容保公や実弟松平定敬、請西藩主林忠嵩等幕府方旧藩主等が多く宮司を勤めたところです。
 日光を、戦火から救ったのは板垣とする説があり、その為日光山前の金谷ホテルに板垣の像が建っているが、実際の処、谷干城と板倉親子の説得と、現実問題としての兵糧・銃弾不足による理由が絡み合った結果、日光山は戦火から免れたともいえる。

 

  宇都宮落城以来板倉候父子寺院に潜居せられし由、使を以て予を招かれたれば直ぐに行きて逢いしに、格別の卓見も無く唯此地にて干戈を動かしては廟前へ血を濺ぐに至り、忠誠を却って水泡抔と旧に依て因循の輪なり、是れ尤一山の僧徒より頼み入て予に話せしことと覚えたり、愈々防戦と決心其手筈調いし上は、仮令弾丸神廟に触るるといえども無拠次第なり、唯防禦の策未だ相立たず苦辛せりと答えて帰れり。
 会人浮洲、水島を参謀となせり
 明日は早朝より序次を定め新廟に拝謁し、直ぐに今市へ下るべしと令を伝えり、本日は格別の変事もなし。二十七日早起色々事務を弁じ新廟を拝せり、新廟は兼て承わりしにも勝る美麗壮観なれども、兵隊進退のことに心を砕き且斯の如き偉大の霊地も最早今日までにて、後来如何なる形勢に遷り行くべきやと悲泣に堪えずして、そこそこにして神前を下れり、夫より、旅館に帰り兵隊を今市に出し予も午後より今市に帰れり。(『南柯紀行』大鳥圭介より)

 

(左)有名な「三猿」 (右)これも有名な眠り猫 ・・・共に左甚五郎作

 

二荒山神社

⇒二荒山神社への交通
JR日光駅・東武日光駅より東武バス中禅寺温泉または
湯元温泉行きで5分「神橋」下車徒歩10分。

拝観料:拝観1300円(奥社まで)、輪王寺と二荒山神社との二社一寺共通拝観券1000円(眠猫〜奥社は別途520円)
拝観時間;8時〜16時30分(11〜3月は〜15時30分)

栃木県日光市山内2301
 *

 

輪王寺

⇒輪王寺への交通
JR日光駅・東武日光駅より東武バス中禅寺温泉または
湯元温泉行きで5分「神橋」下車徒歩10分。

拝観料:拝観1300円(奥社まで)、輪王寺と二荒山神社との二社一寺共通拝観券1000円(眠猫〜奥社は別途520円)
拝観時間;8時〜16時30分(11〜3月は〜15時30分)

栃木県日光市山内2301
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慈眼堂

⇒慈眼堂への交通
JR日光駅・東武日光駅より東武バス中禅寺温泉または
湯元温泉行きで5分「神橋」下車徒歩10分。

拝観料:拝観1300円(奥社まで)、輪王寺と二荒山神社との二社一寺共通拝観券1000円(眠猫〜奥社は別途520円)
拝観時間;8時〜16時30分(11〜3月は〜15時30分)

栃木県日光市山内2301
 常行堂と法華堂の間を山に向かって進んでいくと、ゆっくり歩くと長生きするという延命坂、やがて慈眼堂にたどり着く。この道は鬱蒼とした苔むした階段が続き、夏は虫除けスプレーが必要である。
 慈眼堂は、天海大僧正が眠るところである。又、境内の一角にはる歴代輪王寺宮の墓がある。

 
 <歴代輪王寺宮墓>
 慈眼堂の境内の一角(本堂手前左奥)にある歴代輪王寺宮の墓。歴代輪王寺宮は皇室より招いた為、この墓域は宮内庁管轄の為門の内部には入れません。
 …が、内部には孝明天皇の弟で、戊辰戦争の際は日光を脱出し、会津・仙台へ逃れ、奥羽越列藩同盟の盟主となった公現法親王
の墓もあると思われます。

 

 

龍蔵寺

 

⇒龍蔵寺への交通

JR・東武日光駅より徒歩10分程度 地図
境内自由/拝観無料

栃木県日光市御幸町396

 
 <芸州藩士の八人墓>
 芸州藩士八名の墓で、最年少は大村豊次郎(17)で、最年長は渡辺他人丞(40)。他の6名は何れも20代の若さであったという。

 

龍蔵寺下寺十王堂

 

 
 <臼井清左衛門墓>
 臼井は土佐藩の断金隊の一員で、断金隊は乾退助(後の板垣退助)が甲府に入った際、我こそは武田信玄に仕えた板垣の子孫と称して地元住民に協力させた後、この住民を組織したのが断金隊である
。土佐藩の付属として専ら情報収集に当り、隊長はのち阿武隈川で悲劇の死を迎える美正貫一郎。
 臼井は天然理心流を学び、一度は旧幕府誠忠隊に身を投じるが、のち断金隊が江戸に入ると入隊を希望。誠忠隊に留まり諜報活動を行う。4/29今市の土佐本営に大鳥軍の動向を報告、日光に戻る途中に怪しまれ捕らえられ殺害された。墓は、美正死後に隊長となった尾崎行正(尾崎行雄の父)が凱旋の帰路に建てたモノ。
 日光駅から東照宮方面に向かい、R119から左折、志渡渕川を渡った対岸にある広い墓域の中にある。
 地図