大田原城址

⇒大田原城址への交通
東北自動車道西那須野ICより車で24分
終日開放/入場料無し

栃木県大田原市城山2丁目
 <大田原城址>
 天文14年に大田原資清によって築城され、町島水口より移り、以来明治4年の廃藩置県までの326年間、大田原氏の居城であった城で、現在は龍城公園として整備されている。
 <坂下門跡>
 本城内の本丸・二の丸・北曲輪に通じる門であり、門をくぐって左側に番所があった。戊辰戦争の際は激戦が行われた場所であった。

 

 『五月二日我が軍原田主馬隊、有賀左司馬隊(青龍足軽四番隊)、江上太郎隊(伝習歩兵第一大隊)野際口より大田原城を進撃して之を陥る、時に白河城は前日敵の為めに奪取せられ、為めに援軍大田原に來らず、孤軍籠城の得策ならざるを以て即夜関谷村に退軍し、尋いで各隊田島に轉陣す、大田原の捷報若松に達するや、或が公使を遣して之を賞す』(「会津戊辰戦史」より)

 『五月朔日、東軍千余三斗小屋口を出て、
二日大田原城を抜きて之を焼き白河の退路を絶つ、巳にして西軍大挙至ると聞き、退き三斗小屋を固守して八月に至る、秋月登之助隊長たり』(「会津戊辰戦争」より)