宇都宮城跡

⇒宇都宮城跡への交通
JR宇都宮駅下車、関東バス「市役所(平日のみ)」降車、徒歩3分。
又は「県庁前」降車、徒歩15分。
JR宇都宮駅から徒歩25分。

入城無料/見学自由(清明館のみ月曜休館)
公式HP⇒
http://www.utsunomiya-jo.jp/

栃木県宇都宮市本丸町

 

 現在宇都宮城復元事業を展開中、平成18年に富士見櫓と清明台の二つの櫓と土塁・堀を復元予定。最終的には「御成御殿」と、本丸への出入り口である清水門・伊賀門の復元を予定しているとの事。
 復元応援グッズとして、「宇都宮御城内外絵図」のタペストリー・ポスター・ピンバッチなども販売しています。
 (詳しくは上記公式HPへ)

 

六道之辻

 

⇒六道之辻(戊辰之役戦死墓)への交通
地図
栃木県宇都宮市六道 宇都宮六道郵便局近く
<戊辰之役戦死墓>
 会津の飯寺で宇都宮藩兵の戸田三男隊に捕われた長岡藩の山本帯刀は、死を覚悟し、自らの愛刀と部下の持っていた軍用金を集め、戸田に渡し「これを貴藩に提供す、相当の費用に当てられんこと」と嘆願し従容として死に就いた。 戸田は帰藩後、有志の賛同を得て旧幕府軍戦死者の墓地を整理して建碑。(山本の愛刀は二荒山神社から護国神社に移管され、現存する) 碑文によると、『六道口において官軍と幕府軍との間で大激戦があり、付近には多数の死体が散乱していた。官軍の戦死者は報恩寺に葬られて立派な墓碑が建立されたが、幕府軍は賊の名をもって呼ばれた。 その幕府軍の戦死者は土地の人々により仮埋葬されたまま、供養もされずにいたが、明治7年宇都宮藩士戸田三男等各士族と付近の住民によって墓碑が建立された』とある。

 

光琳寺

 

⇒光琳寺への交通
上記六道之辻左脇の道を直進し、最初の曲がり角を右折し、突き当りを左折すると、寺の入口が現れる。
ここには、東軍の桑名藩士の墓と、西軍の因幡藩士・山国隊士の墓があり、両者の墓が向かい合って建っているという珍しい光景が見れる。

見学自由/見学無料

栃木県宇都宮市西原1丁目4-12 (地図

 

 

 <戊辰の役幕府軍桑名藩士之墓>
 宇都宮の戦いで戦死した桑名藩士の墓。境内入って左手前にあり、解りやすいです。
 笹田銀次郎/岩崎弥五郎/神山金次郎/不破弾蔵
 岡●(不明)三郎/高見民蔵/小林權三郎・・・以上七名
 
 <戊辰の役官軍因幡藩士・山国隊士の墓>
 参道を入って直ぐ右に鳥居がある。官修墓地となっており、宇都宮の戦いで戦死した因幡藩士と山国隊士の墓である。

 

 

(左)官修墓の墓石自体。
(右)官修墓と桑名藩士の墓は参道を挟んで向かい合って建っている。
       (手前墓石が桑名藩士の墓、奥の茂みが官修墓地)

 

 

報恩寺

 

⇒報恩寺への交通
六道之辻の前の道を直進すると左に報恩寺が見える。
ここには、宇都宮の戦いで戦死した西軍の墓が「官修墓地」として建てられているのと、白河などと同型の薩摩藩戦死者の墓が建てられている。

茅葺屋根の山門は、創建当時のもので、本堂は戊辰戦争で焼失してしまったものの、山門は燃えずに残り、現在もその姿を留めている。

見学自由/見学無料

栃木県宇都宮市西原1丁目3-13 (地図

 

 

 <戦死烈士之墓>
 宇都宮の戦いで戦死した西軍隊士の墓。
 境内入って直ぐに建っているのでわかりやすい。
 
 <薩摩藩戦死者之墓>
 境内入って直ぐに、官修墓地と向かい合って、白河や京都にあるのと同型の薩摩藩戦死者之墓が建っている。

 

(左)薩摩藩戦死者墓の礎石には、
   陶製のパネルに戦死者の名前と所属隊名が刻まれはめ込まれている。
(右)戊辰戦争の碑

 

 

一向寺

 

⇒一向寺への交通
六道之辻前の道を直進、報恩寺前を右折すると寺の入口があります。

見学自由/見学無料

栃木県宇都宮市西原2丁目1-10 (地図

 

 

 <戊辰戦争六道口戦死者慰霊碑>
 近年造られた六道口戦死者の慰霊碑。本堂左墓域中程。
 
 <官修墓/倉田弥重墓>
 宇都宮藩士倉田弥重の墓。
 8月30日早朝、田島を出発した西軍は、会津を目指し進軍。沼山集落付近で東軍と交戦し、東軍は敗走するも、宇都宮藩士の五番隊長、倉田弥重が狙撃され戦死、享年42歳。
 傍には「倉田家」の墓があるので、倉田家の菩提寺として、この一向寺に墓が建立されたと思われる。

 墓域左奥、通りへの出口近く。

 

簗瀬橋

 

 <簗瀬橋>
 ここ簗瀬橋は、土方等旧幕府軍・新撰組が宇都宮城攻略の際、ここから新政府軍を追撃、この橋を渡った辺りで激戦が行われた。
 この戦闘の際、自軍の兵で戦いに臆して逃げ出そうとした兵を土方が斬った場所でもある。

 

常念寺

 

 <彰義隊士之墓>
 明治27年、旧宇都宮城南館の地に、池上町の貸座敷が移転してきた際、そこにあった墓石を同時に移したものだという。
 この墓石は戦闘直後に地元民によって仮埋葬された後に明治7年に碑が建てられたものであるが、碑銘には「彰義隊士之墓」となっているが、宇都宮戦争時に彰義隊が参加している事を「復古記」等で読み取れない為、上野戦争が5/15日である事から、4月に行われた宇都宮の闘いに参加できない為、上野彰義隊ではなく、彰義隊が結成後分裂、二分した際に、一部が大鳥軍に合流したものかもしれないとする。

栃木県宇都宮市花房1丁目6-20
境内自由/拝観無料

 

二荒山神社

 

⇒二荒山神社への交通

JR宇都宮駅より関東バス「駒生」行き「馬場町二荒山神社前」下車。
宇都宮ICから約40分、鹿沼ICから約30分

拝観時間:5:00〜21:00

栃木県宇都宮市馬場通り1−1−1

 この二荒山神社は宇都宮城址奪還戦争時新選組が布陣した二荒山神社。
 簗瀬村に放った火が、ついに二荒山神社まで焼ける事態となった。この戦いの間、町民達はこの二荒山神社の高台で戦況を見守っていた。この戦いの直後、宇都宮城に入った大鳥は、「氏子鎮撫の為、独り二荒山神社の神域に留まった神職中里千族を呼び出し、粮米百俵を寄進したという。