■諸法令集■

 

■家訓(かきん)
 寛文8(1668)年、家老友松勘十郎の進言により、保科正之が「家訓」(かきん)十五条を起草し、山崎闇斎に潤色させて定めたもので、
4月11日会津から大老田中正玄を呼び寄せ授けた。
 毎年正月、学校奉行が読み上げ、藩主も家臣も座を降り正座して拝聴した。
 第一条冒頭にある「大君」はタイクンと読み、天皇ではなく将軍を意味する。
 また、第4条にある「婦人女子の言」は、正之の継室「お万の方」の嫉妬が引き起こした「媛姫毒殺事件」の事が尾を引いているとも言われる。
  1. 大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例を持って
    自ら処るべからず。若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず、面々決して従うべからず。
  2. 武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。
  3. 上下の分を乱るべからず。
  4. 婦人女子の言、一切聞くべからず。
  5. 主を重んじ法を畏るべし。
  6. 家中は風儀を励むべし。
  7. 賄を行い媚を求むべからず。
  8. 面々依怙贔屓すべからず。
  9. 士を選ぶには便辟便侫の者を取るべからず。
  10. 賞罰は家老の外これに参加すべからず。若し位を出ずる者あらば、これを厳にすべし。
  11. 近習の者をして人の善悪を告げしむべからず。
  12. 政事は利害をもって道理をまぐるべからず。僉議は私意を挟み 人言を拒ぐべからず。思う所を蔵せず、以ってこれを争うべし。 甚だ相争うといえども、我意を介すべからず。
  13. 法を犯す者は宥すべからず。
  14. 社倉は民のためにこれを置く、永利のためのものなり。歳饑えれば、則ち発出して、これを救うべし。 これを他用すべからず。
  15. 若しその志を失い、遊楽を好み、驕奢を致し、士民を してその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、 土地を領せんや、必ず上表蟄居すべし。

 

■什の掟(じゅうのおきて)
 會津藩の子弟教育の中で「什」と呼ばれる組織があり、會津藩の上士の家庭はおよそ800戸あり、これを八組ほどに分けて教育を施す単位とした。この組はさらに7〜8つの小グループに分割され、10名前後で構成される子供のグループが作られた。(今で言う集団登校のグループ分けのような感じ)これが「什」であり、日新館入学前の6〜9歳の幼童からなる「遊びの什」、入学後は「学びの什」という二種があった。
 会津藩の子弟は6,7歳になると「遊びの什」に参加する事となり、毎日午前中は近所の寺子屋なり教師の家で孝経・大学などの素読をし、午後は順々に什の仲間のいずれかの家に集まって遊び、独りで自由に遊ぶことは許されなかった。
 また、遊びの間も年功序列が厳格に守られ、年少者は門戸の出入りや立ち居においても、年長者に先んずる事は許されなかった。
 同一年齢か上下ともに一歳違いの者の間では、これを「呼び捨て仲間」と称して、お互いに名前を呼び捨てにすることになっていたが、二歳違い以上になると、「〜様」と様付けで呼んだ。ただし組の中においては家柄によって差別されることはなく、あくまでも年齢によって序列が決まった。

 「遊び」の始めには什の最年長者である「什長」が上席に着いて、他の子供が長幼の順に部屋の周囲に居並び、什長が「これからお話を致します」と宣言して、以下の心得を述べる。

1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.虚言を言うことはなりませぬ
4.卑怯な振舞をしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

   ならぬことはならぬものです。

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 その後座長が「何かいう事はありませんか?」と申し渡し、掟の叛いた者が居ないかを糺す。違反者に対しては以下の制裁が加えられる。

  1. 無念⇒違反者が座中の者に向って「無念でありました」とお辞儀をして詫びる。
  2. 竹篦(しっぺい)⇒掌に加えるものと、手の甲に加えるものとがあり、後者の方が重かった。
  3. 絶交⇒「派切る(はぎる)」と言って最も重い罰。
         一度派切られると父親か兄が付き添って組長の元に行って詫びをして絶交の解除を求めなければならなかった。
  4. 手炙⇒冬火鉢の上に手をかざさせる。各人が自分の指先に鼻の脂をぬり、これを被告の手にすりつけたりした。
  5. 雪埋⇒冬、雪の中に埋める。


 

■六科糾則(ろくかきゅうそく)
 天明8年戊申8月25日、五代藩主容頌の時、講所の功令を定め六科糾則と名づけて発布される。
 修行は目的なくしては志も立ち難きを以って、周禮(中国の国史「春秋」の唐時代に追加されたもの)の六科に基づき六行の法を立て、六科・六行に適合をする者を重用し、八則に適合する者を退けることを定め、文武の芸が未熟である者は、練熟に達するまで諸勤を免じ小普請料を収める事を命じられ、学び得し者は年齢にかかわらず小普請料を免じられる。
 若し未熟なる者は五年間一二芸の専修行を命じられ、尚達しない者は二三年を増し、尚達しない者は次男以下の者に養子を命ぜられる。

<六科>

  1. 一曰、古に稽へ、事に明らかに治道に通じ、人の所長を知る者。
  2. ニ曰、人を愛して物に及ぼし、教化安民の道に志ざす者。
  3. 三曰、神道和学に達し、吉凶の礼、古実を知り、時に損益することを知り、清廉にして、能く慎む者。
  4. 四曰、古聖人の善とする所を知り、時宜に従ひて処置し、武備教練の意を会得し、沈勇なる者。
  5. 五曰、人の為に謀り、人の事に代り、己が事の如く、心を盡し、忠信にして獄証律学に長じたる者。
  6. 六曰、和順にして物の性に悖らず、土木百工を導き方材能ある者。

中に就きて大いに得たる者は大いに用い、少く得たる者は、小に用ふ、これを審にするに六行を以ってす。

<六行>

  1. 一曰、善く父母に孝なる者。
  2. 二曰、善く兄に事へ、弟を愛し、長を敬し、幼を恵む者。
  3. 三曰、善く家内及び親族に和睦なる者。
  4. 四曰、善く外親に至るまでを親み、本を忘れざる者。
  5. 五曰、友に信ありて人に任ぜられ、其の事を担当して久きに耐ふる者。
  6. 六曰、親族朋友に災厄・疾病・貧窮等あれば、厚く之を賑恤すること、己の憂に遭ふが如くする者。

<八則>

  1. 一曰、言行を慎まずして、父母を危くし、事へて順ならず、喪に居て哀戚の容なく、懶惰(らんだ)【怠けおこたる事】の行いある者。
  2. 二曰、薄情にして、家内親戚和せざる者。
  3. 三曰、兄弟に友ならず、師に循はず、長を侮り、幼を愛せざる者。
  4. 四曰、言行に信ならず、面従後言し、或は男女穢褻(あいせつ)の行ありて、近隣朋友に疎まるる者。
  5. 五曰、怠惰残忍にして、親戚朋友等の艱難痛苦を救恤(きゅうじゅつ)【困っている人を救い恵む事】せざる者。
  6. 六曰、漫りに浮言を造りて衆を惑わし、又非理【道理の合わぬ事】なることを強弁し、道理に従はず、其の行悖りて粉飾する者。
  7. 七曰、聖人の道を信ぜず、党を結び、猥りに法度及び他人を誹譏し、世俗の浮説を信じて、私智に衿り、弁舌を以って事を壊ぶる者。
  8. 八曰、文武は相資し、偏廃す可からざることを知らず、己が学ぶ所に執滞し、能を妬み、技を謗り、猥りに偏執の心を懐く者。

此の八過のうち、一もその身にあれば、假令才智芸能ありとも、其の尤め逃るべからず。常に心に存し慎むべし。
(注)六科・六行を合わせて功令十二条という。