会津藩諸隊編成表

 

隊名 人数 隊長 編成・備考
白虎隊 300 総督:黒河内式部
隊長:日向内記ら
士中一番隊・二番隊/寄合一番隊・二番隊/足軽一番隊で編成され16歳〜17歳で編成された。
朱雀隊 1200 総督:黒河内式部 士中一番〜四番隊/寄合一番〜四番隊/足軽一番〜四番隊で編成され、18歳〜35歳まで。
長命寺の戦いで活躍した。
青龍隊 900 総督:黒河内式部
隊長:横山伝蔵
有賀左司馬ら
士中一番〜三番隊/寄合一番・二番隊/足軽一番〜四番隊で編成され、36歳〜49歳まで。
国境守備に配された後、会津戦争で活躍した。
玄武隊 400 総督:黒河内式部 士中一番隊/寄合一番隊/足軽一番・二番隊で編成され、50歳以上。
年少隊 100 安部井登 14歳〜15歳で編成され、士中、寄合一中隊。会津城下の戦いで多くが討死する。
奇勝隊 250 柴太一郎 藩の軍制改革の際、新規徴募された民兵部隊。猪苗代方面・長命寺の戦いに参加。
敢死隊 250 小原信之助 西郷頼母の指揮下で冬坂・赤井方面へ出撃、土佐の迅衝隊と戦い壊滅。
中軍護衛隊 50 西郷寧太郎 13歳〜15歳の少年有志で結成され、城内守備を行ない落城まで奮戦
婦子隊 20 中野竹子 有志の女性によって結成された一隊で薙刀で涙橋辺りで奮戦。
新練隊 380 土屋鉄之助 三斗小屋・中峠で日光口の西軍と戦い、西軍の会津城下突入にさいしては城外で激戦展開。
会津遊撃隊 180 遠山伊右衛門 追分峠・鶏峠に出戦し以後、赤谷口で西軍と交戦。仙台で降伏。諏訪常吉ら70人は箱館戦争へ参加。
会義隊 70 野田進 慶応4年8月25日の天寧寺での戦闘に参加。
義集隊 80 辰野源左衛門 白河戰に参加、銚子で降伏壊滅。
奇正隊 200 原田対馬 一番隊〜八番隊まで。鶴ヶ城攻防戦で奮戦。
敬身隊 35 二瓶左内 神青龍隊の分隊名称。7人が仙台にて降伏。
義勇隊 80 秋月新十郎 慶応4年9月1日大内峠で布陣し、芸州・宇都宮藩士と交戦。
結義隊 130 渡部英次郎 越後口・片貝・加茂・谷沢・若松南部の大三次戦闘に参加。隊長の渡辺は柳土手で戦死。
修験隊 80 町野源之助 領内の山伏によって組織された民兵隊。朱雀四番隊に付属。
純義隊 100 小池周吾 白河・只見・会津城下で奮戦。のち銚子において降伏。
順風隊 150 船橋捨蔵 西軍の進攻にそなえ急ぎ藩の有志で組織された部隊。長命寺の戦いで幹部のほとんどが戦死。
正奇隊 80 相馬真登 百姓による農兵隊。大内峠にて交戦。
書生隊 80 相馬孫市 京都日新館の書生たちによって編成され、鳥羽伏見の戦いで奮戦する。
信意隊 80 武川兵部 彰義隊の傍系部隊で会津藩有志で組織され、上野戦争に破れた後、会津へ走る。
新隊 200 坂平三郎 一番隊〜八番隊まで。遊撃兵として活躍した。
殊に会津城の攻防戦で活躍した。
進撃隊 150 小室金吾左衛門
武井柯亭
会津田島に布陣。城下の戦いでは佐川官兵衛の支隊として奮戦した。
新撃隊 70 天野由次郎 会津民兵隊で9月4日の長窪大谷間で交戦し敗走。
神青龍隊 140 五十嵐喜平太 会津戦争末期に組織された民兵遊撃兵?
仙台藩の降伏と共に一部投降して四散する。
新遊撃隊 100 佐藤織之進 与板・只見で交戦、水戸城攻撃の後、銚子で降伏。
誠志隊 180 坂平三郎 東部藩境でゲリラ活動に終始。仙台降伏と共に投降。
狙撃隊 25 竹村幸之進 山川大蔵に属した部隊で、籠城の際は本丸を固め、最後の攻防戦は城外にて奮戦。
築城隊 200 安部井寿太郎 陣地構築の為の土工兵と思われる。
鎮将隊 200 萱野右兵衛 5月3日の片貝戰以降、各地を転戦。隊士の3割が戦死。
力士隊 150 田中源之進 朱雀足軽四番隊、砲兵二番隊と保成峠・天狗角力取山に出撃。
猟師隊 120 松田英之助 宇都宮戦の後今市で組織された和銃部隊。
別楯隊 120 関清之助 会津藩寄合組有志で組織。8月5日阿賀川で交戦。
別撰組 40 春日佐久良 佐川官兵衛の斬り込み隊として発足するが、鳥羽伏見以降に再編成され城下の戦いで奮戦する。
別伝習隊 70 工藤衛守 藩士と農兵で別に伝習を受けた部隊で大鳥の後軍に属する。
報国隊 60 不明 義勇隊と共に行動。大内峠の戦いに参加。
歩兵隊 80 辰野源左衛門 融通寺口の戦いで奮戦。
勇義隊 50 佐瀬義之助 内藤介右衛門下の八隊のうちの一隊。白河口勢至堂を守備。
赤心隊 40 仁科勇八? 敬身隊と同じく神青竜隊文隊か?ゲリラ部隊として藩境で戦い、仙台藩の降伏とともに3名が投降する。
砲兵隊 110 日向内記 鳥羽伏見で林隊・白井隊の残兵を統合したもの。当初は山川大蔵が隊長だったが、若年寄就任後日向内記に交代。