■ 軍中規則  ■

庄内藩の戊辰戦争際論達された軍中規則を紹介。

 ■庄内藩戊辰戦争2(庄内軍の軍中規則)

 庄内藩は、行軍中の行動を厳しく取り締ったり、占領地民政化の為、多くの規則や論達を発している。
 その中で幾つか規則を紹介したいと思います。


1・庄内軍輜重に関する規則 

  1. 身分の上下を問わず、一人一日玄米一升の割合で支給。兵食は握り飯に漬物、生みそまたは梅干の類を宿主に出させ、
    必ず実費を払う事
  2. コメは駐屯予定地の村役人に前もって頼み、その土地の時価で代金を支払う事
  3. 三日に一度ずつ、一人一朱(一両の1/16)見等の肴や汁の類を、宿に調理させる事。
  4. 夜具ふとん類はいっさい宿に求めず、陣中はすべて自分で炊飯するものと心得る事。宿はただ寝る為だけに借り、 時に炊き出しを請負わせるまで。ただし夏の候ゆえ、蚊帳だけは借りて借り賃を支払う事
2・軍令状
  1. 宿駅の町中を通る時には足並みそろえて行進し、駅をはずれれば足並みを解くが、列を離れず、号令・合図にしたがって行動する事。
  2. 宿営地についたら必ずいったん整列し、号令にしたがって混雑のないよう各自の宿に入る。出陣のさいも同じくいったん整列し、足踏みをしてから 行進をはじめる事。宿陣は大太鼓・喇叭、出陣は小太鼓で合図する。
  3. 昼食の大休止、行軍二キロごとの小休止、休息からの行軍開始も、みな号令・合図によること。行軍停止は喇叭の長声で知らせる。
  4. 毎朝大隊本部で大太鼓・喇叭を鳴らしたら、小隊の宿はこれを受けて小太鼓を打つ。一番太鼓で朝食、二番で出発準備、三番で整列すること。
3・陣中規則(要約)
  1. 戦闘中に戦死・負傷者を介抱して戦機を逸してはならぬ。戦闘終了後に各隊それぞれに解放し処置すること。
  2. 投降したものを嘲ったり、生け捕ったものを辱ずかしめたりしてはならぬ。戦死した敵士卒の遺骸は、決して不作法に扱ってはならぬ。
  3. 隊長が若し討死した場合も、一隊は命令を次ぐものと心得え、その時に臨んでは狼狽しない事。
  4. 分捕りについては、自分が討ち取った相手の持ち物は格別だた、それ以外は各自上長の指図がないかぎり、みだりにてをつけてはならぬ。
右の条々はもちろん、お互いに相慎み、万一法令にそむき右各条を犯したものは、場合によっては死罪を申し付けるから左様心得よ。 下じも(輸卒・軍夫等)には別して厳重に申し含める事。


4・大隊長の訓諭(要約)
  1. この度の出兵は御家のいちだいじゆえ、出陣さきでの乱暴狼藉は申すに及ばず、強奪がましい所行があってはこれまでの御威徳を汚し、天地に対して申し訳も相立たず、また最後の勝利もおぼつかない。各自困苦にたえて年来の恩沢に報い奉るはこのときと、憤発精励されたい。
5・新庄藩領民に与えた酒井玄蕃(吉之丞)の論達
  1. 兵火に焼かれて困っているものは、官有林から家を建てる用材を伐り出してよい。
  2. 新庄藩士の家族で民間にかくれ、衣食に困り病にかかって難儀しているものには、手当てが行き届くよう、厚く意を用いてやる。
  3. わが軍に敵対した士卒であっても、主人の為に戦死したものは、忠節を全うした義士として手厚く葬り、墓標を建てることにする。
  4. 領民一同非常の困苦にかんがみ、ことしの租税は半額とする
  5. 庄内のものには、民の迷惑にならぬよう厳しく申し渡してあるが、万一不心得のものがあったなら、少しも遠慮せずに訴え出ること。以上。
各隊長に対しては・・・
薪・草鞋等を現地調達する際は、必ず代価を支払い、少しでも駐屯地の人民に迷惑をかけぬようにし、何事によらず自国庄内の民に臨むと同じ心得で 対することが専要である。


6・松山隊将永井丹治の矢島領民への論達。
  1. 年来高恩をうけた領主を離れ、兵火に苦しみ難渋したうえ、他領の指図をうけることさぞ心外とは察するが、生駒家が破盟出兵して庄内へ攻め入ったのだから、こうなるのもやむをえぬ仕儀である。しかし農工商民の非戦闘員が戦闘とはかかわりない事情を、当役所はよく了解しているから、領民一同、安居楽業を心がけるように。

参考文献
「秋田・庄内戊辰戦争」新人物往来社/郡義武著
「戊辰東北戦争」新人物往来社/坂本守著